やる気というものがまったくない

日記を見返すと、仕事をしていたのが2017年の10月末まで。1年半ぐらいは働いていないのか。お金は欲しい…というか生活費はどうにかしないとなぁとは思うものの、働きたいという気持ちはまったく起きない。タイトルの通り、やる気というものがまったくない。

 

だいたい日がな一日ずっと家にいる。ネットをしたりテレビを見たりゲームをしたり…という過ごし方だからボーッと過ごしているのとあまり変わらない。思索に充てる時間というものも特に増えたりはしていない。前から電車の中でぼーっと考え事をして時間を潰したりしていた。それが家の中に変わったぐらいか。

時間とかお金に追われることがほぼなくなったので、頭を悩ませる対象が働いていたときとは少し変わった気はする。仕事をいていると「この仕事をどう片付けようか」みたいな部分に寄ってしまうのはしかたない。今は働いていないし、他の人との接点も特にはないので趣味に100%というような方向になっている。

美の巨人たちという番組があった。今はリニューアルされてだいぶ趣が変わってしまったけど… 絵画や彫刻など何かの芸術作品にフォーカスして、その作品がどんな背景で作られたのか?どんな思いで作られたのか?というようなことを解説する番組だった。これが好きで毎週楽しみに見ていた。その影響もあり、日々の生活が暇なのもあり、芸術について考えることが多くなった。あとは芸術ではないものなんかでも「それを作った人はどんな人だったのか?」に思いを馳せたり。

 

昨日、とあるvtuberの人が歌ってみた〜の動画を公開したので聴いてみていた。率直に言って歌の技術はまだ拙いし、普通の人という感じがする。ただ妙に癖になって何回も聴いている。

正確性だけが求められるなら打ち込みの演奏で十分なはず。それこそ絵画じゃなくて写真で良いじゃんという話になる。それでも「人間が絵を描く」ということが廃れて滅ばなかったのは、ただ正確に映し出すだけでは足りない何かがあったからだと思っている。昨日の歌は絵で言ったらデッサンもまだあまり正確ではないし、色の塗り方もそんなに上手ではないというようなものと言えそう。じゃあそれがダメなのかと言われるとまた別の話。正確性だけでは計れない何かがあるように感じた。

もっともそれは聞き手である自分が勝手にドラマを作って想像したものかもしれない。本人が種明かしをしない限り本当のことはわからないし「作者の気持ちを答えなさい」と同じようなものと言えるかも。それでも得体の知れない何かがあるような印象を受けた。

 

そういう「何か」が今の自分に全く無い。完全に0ですっからかん。やりたいことも特に無いし、明日隕石で地球が滅びるとかなっても後悔とか未練みたいなものが思いつかない。

あまり考えていなかったけど、これもある種の燃え尽き症候群みたいなものなんだろうか。寝て起きて飯を食って寝る…以上の何かをしたいと思わない。

魂の奥底から湧き出てくるような欲とか衝動とか情熱みたいなものがまったくない。どうしたもんかな。死ぬまでこんな感じという実感がある。